学び

「具体」と「抽象」を使って考えるチカラを育む

「抽象」という言葉を知っていますか?

わかりやすく言えば、
「犬」や「猫」を「動物」と捉えることです。

※動物だけではなく、ペットや生き物と捉えることもできます。

抽象した場合、より大きな枠組みでとらえます。

抽象化すると情報量は減り、意味としては表す範囲が広がります。

「抽象」の対義語となる言葉は「具体」です。

具体の例は
「犬」であれば「柴犬」や「ダックスフンド」となります。

具体化すると情報量が増え、意味としては表す範囲が狭まります。

 

「抽象」と「具体」の例をわかりやすくするために、犬や猫で表しましたが、これは直面した問題を解決するときに使用できます。

たとえばAくんとBくんが喧嘩をしていたとして、これらのことを客観的に見たときに、Aの言い分と、Bの言い分を理解し共通項や相違部分を認識するときに使います。

お互いにとって本当にいい解決策は争うことではなくて、強みを生かして助け合うことだのように抽象します。

具体のみに囚われていると視野が狭くなり、盲目になります。

具体を無視し抽象だけでも、個人の感情を汲み取れないため解決できません。

 

なので、この様に「具体的」なことを「抽象的」にすることを「抽象化」と言います。

これからの社会では、「具体的」な例を「抽象化」して更にそこから逆算し個人で行うことのできる「具体化」する重要性ことが大事だと思っています。

具体視点と抽象視点

多くの人は「具体的」に考えています。
これは悪いことではありません。

具体とは、現時点で見えていること

と言ってもいいでしょう。

会社の組織で考えると更にわかりやすいでしょう。

営業の人は、直接お客さんのところへいき営業を行います。
営業をまとめる部長がいます。
その営業結果を部長が本部に報告し、営業成績を集計し、計算する人がいます。
そこで出た売上を、計算しどの様に割り振るかを考える人がいます。
そのために部署を作る人がいます。
部署をなぜ必要なのかを考える人がいます。
この会社として、何をビジョンとして掲げ達成するべきか考える人がいます。まだこの世に解決できていない問題を考える人がいます。

これは、どこがいいとかどこが悪いという上下関係ではありません。

営業と社長は
一つの「なぜ」という疑問に関わる人数の規模
が違います。

具体的に考え動くことと、抽象的に考え動くことはつながっているということです。

その個人の行動がどの抽象度からみた行動であるのかが大事です。

例えば、営業が1件を取るためだけに卑怯なことをしたとします。
その目的は、営業件数を増やすためだったとします。これは個人目線の抽象度での達成であり、組織が目指す達成ではない可能性があります。

逆に、社長が抽象的な考えをせず信頼せずに、個人に対して具体的なことばかりを口出していたら、それもそれで方向性が定まらず、組織の進むべき方向に迷うかもしれません。

具体と抽象は同系列の課題であり、思考の中では移動できます。

考えるチカラを育むには、他の現象を自分ごとにし作業に落とし込む

いま現代の教育は「考えるチカラ」を育てようとしています。

この考えるチカラを育てるにはどうしたらいいと思いますか?

出された問題に対し答えを記憶する授業では考えるチカラは養われません。

現在ある現象やことを知り、その物事から自ら適切な質問をだすことこれが考えることだと思います。

自分が思う「考えるチカラ」の付け方は、
「具体」→「抽象」→「具体」で身につけることができると思っています。

何でもいいので現在を観察し、見つけたことを具体的に捉えます。

(実際に知ったこと)具体「アプリの会社が大きな利益を上げている現象」

(知ったことの意図)抽象「スマートフォンという媒体で手軽にできるアプリがあり隙間時間に楽しんでいる」

(自分だったらどうするか)具体「スマホでできる楽しいこと、発信者としてできることはなんだろう」

これは一例ですが、現象を読み取って、抽象化し、自分ごとにする

この流れが考えるチカラを育てると思います。

昔と今の「頭のいい人」の定義

今までの頭のいい人は「大量の情報えアクセスし記憶しそれを取り出せる人」つまり「記憶=頭の良さ」となっていました。

なので、勉強の仕方も大量の本を読み、その知識の中から問題の糸口を取り出せる人でした。

しかし、今はどうでしょう?

なにか解決したい問題が合ったとき、Googleで調べます。そして答えを取り出し、解決します。

こうなると、知識をたくさん、記憶していることより情報を検索によって引っ張り出せるチカラが重要になります。
なので、問題を認識し、その問題をどのキーワードで検索すれば答えに行きつけるだろう。これが今です。

日常の生活の中ですでに答えのあるものは、その答えの中で優先度を示し、効率的に行うことが大事です。

では、答えが無いことへの対象はどうしますか?

答えのまだないものは、みんなが見える形で、ゴールを先に提示することが大事だと思います。

答えはなくてもゴールは示していいの?という人がいるかも知れませんが、何でもゴールが先なんです。

例えば「がん」
これはまだ治す答えがありません。

でも「がん」は定義されている。そしてみんな知っている。

だから、これを治そうとする。治そうとする方向へ向けるのです。

なので、まだ解決していない、またはできていない事が見つかったのなら、先に提示する、そしてその定義によって、方法を埋め合わせるこの順序が大事だと思います。

「未来を明るく想像する」そうしたとき、逆算して今の何に不便を感じますか?

この考え方が、様々な分野で、広がり気がつけば、いろんなことがまだまだ不完全であると実感できると思います。

難しいことを簡単に言い表すことが一番難しい

今の自分の目標や日々意識していることは、難しいことを難しいままに発信しない事です。

例えば「量子論」「超ひも理論」について、
量子論や超ひも理論を知っている人は分かる人もいるかも知れませんが、では中学生に説明するにはどう説明しますか?

自分が理解しているということよりも、わからない人にこの現象を説明する実はこれが最も難しいのです。

例えば今自分の言葉で中学生に「超ひも理論」を説明するとすれば
「ここに水があります!この水をものすごく細かくしたとき、酸素と水素に分かれます。では更にそれを細かくすると中心に核があって、その周りにイオンがあります。ではその核を更に・・・と細かくしていったときの最後まで分割すると表現できるとその形は「ひもの様な形状」なのではないか?そしてそれは振動や形状の変化で変化する」という理論です。

この先の理由や式をもっと細かく説明するとすれば、付帯するべきことが色々増えてきますが、難しい情報を情報を因数分解していくとできるだけシンプルに伝えたいことを伝えられるかもしれません。

そこまで細分化しないと、中学生には理解できません。

この様に、知っている現象やことをとことん噛み砕き、
抽象の中で相手と紐付け、その人でも理解できるようにアウトプットするこれこそが考えるということだと思っている。

具体的なことしか考えられない人へのヒント「なぜ?」

具体的なことしか考えられない

という人もいるでしょう。

怒られれば怒られた具体にのみ反応し
褒められれば褒められたことに反応し

いま直面した具体のみにのみ反応している人が多いと思います。

でも「なぜ」と一度問うことで「抽象」を生み出し、考えることができるようになります。

なぜ、怒られたのか?
なぜ、悲しくなったのか?
なぜ、失敗したのか

「なぜ」という言葉では抽象を上げられます。

そして、「どうしたら」を更にそこから出すことで
「個人的な具体」に変換できます。

なぜでだした言葉を広げ、どうしたら次怒られないか、問題を解決できるか、そのために今やるべきことはなにか

具体的な現象を抽象化して、個人的に活かせる形で具体化しましょう。

考えても解決できない問題に直面したとき

いろんなことに考え頭を使いすぎると、分岐に差し掛かることがあります。

結構考えることが癖になってくると、社会に流れる情報が持っている知識のフックに引っかかり、どんどん新たな知識を吸収し始めます。

難しく言いましたが、勘案に言えば一回ハマるとどんどん勉強できるってことです。

そんなとき、様々なことを決断すると、未だ誰も解決していない分岐に差し掛かることがあります。ここに差し掛かったとき、もちろん考えにもふけますが、それでもわかりません。

そうなったとき、考えて考えて考えた結果、考えないに行き着きます。

なぜ、これを始めたのかという初期の感情、どっちに導かれているのか、どっちが好きか、何でもいいのですが、ここまで来たとき初めて感覚を信じます。

自分は考えを追求していくタイプなので、その行き着く先の感情にいつも救われます。

逆に、感じていることが多い人の場合には、一旦並べ整理し必要不要、可能不可能、優先順位を決め実行することでスムーズに行くと思います。

考えへ追求は常に「なぜ?」から

見る次元上げると檻から出れる

1次元は点です。
2次元は線です。
3次元は立体です。
4次元は立体に時間が加わると言われています。
5次元はそこに空間が加わります。

今の世界は、立体であり時間の幅がるので4次元だと言われています。

檻で考えてみてください。

1次元である点の檻は線になることで、脱出できます。
2次元線の檻は、3次元の立体を想像できれば抜け出せます。
3次元の檻、いわゆる現在の檻ですが、タイムマシンができたら抜け出せるかもしれませんね

この様に、次元が上がれば今までの縛りはなくなります。

適切な質問からの作業はAIでもできるから

この問題があるからこの作業をしたい

と具体的に提示すればそれは、人のように動くAiに任せることができます。

Aiにできないことは、社会の中で人が困っている事、問題を感じ見つけることです。

Q→Aを行う処理能力は「AI」には勝てません。
でも適切なQを出すことは、人間にしかできません。

「この作業嫌だな〜」と思っていることは、少しの考え方の転換でAIに置き換えて楽になる可能性があるので、そのうち自動化できるのでご安心ください。

「嫌だ」と感じ、表現されているので!

多くの人が感じる「嫌だ」は最優先で解決するように、社会ではなっています。

 

難しいのはいままだ、不便だと感じていない不便です。

スマートフォンが出る前は、ガラケーでした
今考えると、ガラケーは使いにくいですよね。

過去を振り返るとわかるのですが、不便だったものを人の頭を使って、使いこなしています。
当時は最先端です。

この様に、今最先端でも、その中に、まだある不便が隠れている。

「これが不便だ!」という人がいますが、それをいうだけでは不完全で「だからこういう機能にしてほしい」までついていれば意見です。

愚痴と意見の差は、本気で改善しようとしているかの差です。

愚痴だけでは変えることができないので、
頭の良い人は、この愚痴をも声として聞き改善や開発に努めます。

なので、どの声をどの様に聞くかは大事です。

何でこのことを書いたのか

現在、様々な本を読んでどの様に進化してきたのかということと、これからどの様に進化するほうがいいのか

かなり、抽象的ですが、自分なりに今思ったいることを出したほうがいいと思いここにアウトプットしました。

抽象と具体

今までは、具体中心の教育でした。
そのため、習ったことをそのまま出力することが習慣になっています。

でも、質問があるということはすでに答えがある場合が多いのです。

本でも、YouTubeでも、TVでも受け取る情報になれています。最近は受け取る情報が増えています。

この様になると、受け取る情報の比率が飽和し、みずから生み出すチカラが弱まる気もします。

いままだこの世界ではわからないことだらけなので、そこに対して考えをふける前に、あふれた情報の中で生涯を迎えます。

自分の軸をたてて、情報の本質を見抜き、頭の中で抽象化することで大量の情報でも整理できます。その抽象化した情報から、現在の社会へ具体的に自らでブレンドし発信することがグローバルスタンダードだとも思います。

ポジティブな未来から見た現状の不完全さ

ポジティブなイメージから作り出した現状にない未来から逆算し現状の不完全さを感じることで成長できる。

これをぜひ身につけてほしい

抽象化があれば世界を平和にできると思っている

宗教戦争は宗教的な考え方の相違から生まれた戦争です。
では、その両者の考え方を大きくくる事ができ、納得できる考え方があったらどうでしょうか

具体「世界にはまだ戦争がある」
抽象「戦争の無い世界そして平和にする」
個人的具体「そのために、今自分ができることは・・・」

※あえて個人的な具体を例で出さないのは、個人個人で考えてほしいからです。

この様な高い抽象感で、個人個人が動けば平和的な解決ができると本気で思っています。

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